Wakiya 脇屋友詞 伝統と創作

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銭湯とうなぎ

子供の頃、家にお風呂が無く、近所の遊び仲間と一緒に銭湯に通った。銭湯の5、6軒手前に鰻屋があり、前を通るたびに、あの砂糖と醤油が焦げたようないい匂いが鼻をくすぐってくる。「鰻ってどんなものか、いつかは食べてみたいなぁ」。小学4年生頃の思い出である。

ある時、いつものように悪ガキどもと連れ立って銭湯に入っていくと、角刈りでちょっと強面のおじさんと一緒になった。何回も会っているのだけど、その日に限って、「坊主、背中をこすってくれ」と手ぬぐいと石鹸を渡された。「いいよ」とごしごしこすると、おじさんは「もっとしっかり。背中は自分で手が届かないから、よくこすってくれ」と言う。ごしごし、ごしごし。風呂から上がり、帰る途中に例のおじさんと一緒になった。鰻屋の前にさしかかったところで、「ちょっと寄ってけ」と手招きされた。なんと、強面のおじさんは鰻屋の主人であった。「さっきのお礼に鰻を食わしてやる」と出してもらった丼。初めての鰻である。匂いしか知らなかったあの鰻が目の前にある。ひと口、口に入れた時の喜びといったら。「世の中にこんなうまいものがあったのか!」。あの味わいは忘れられない。

中国語で鰻は鰻魚と書き、上海料理では「紅焼鰻魚」が代表的である。鰻をぶつ切りにして醤油をまぶし、高温の油で揚げる。表面が小麦色になったら筍、椎茸、豚肉、丸ごと素揚げしたにんにくを合わせ、紹興酒、醤油、ざらめ、そしてなんと水を入れて炊いていく。ここが上海料理のおもしろいところで、広東料理ではよく上湯という上質なスープを使うが、上海風は素材の味を引き出すために水からコトコト炊くのである。煮込むこと40分。紅焼(醤油、砂糖、紹興酒をベースにした味)が鰻の表面のみに染み、中の身は白くてほんのり香ばしい。骨にそって箸で割ると、鰻本来の味と調味料の味が折り重なり、何ともふくよかな風味を醸し出す。

九州小倉の鰻専門店『田舎庵』の主人で、僕の親しい友人でもある、緒方弘さんという匠がいる。緒方さんは中国やイタリアに出向き、日本ならではの鰻の焼き方を教えている。東の背開き、西の腹開きといわれ、浜名湖あたりをちょうど分水嶺のようにして、さばき方、焼き方が異なるようである。緒方さんは腹開きにし、素焼きにして味を閉じ込め、タレをつけて2、3度焼く。以前厨房を覗かせていただいたことがあるのだが、思わず「うわぁ」と声が出る美味しさであった。天然と養殖、両方を食べさせてもらうと、それぞれの美味しさ、個性があり、養殖鰻もまたうまい。緒方さん曰く、現在の鰻の養殖では良い飼料を与えているので、味が良く脂も乗り、手間とお金はかかるが、その分美味しい鰻に育つのだそうだ。

鰻の蒲焼と中国料理の紅焼鰻魚はどこか似ている。調理場で紅焼鰻魚を煮込んでいると、子供の頃に鰻屋の前で嗅いだ匂いを思い出し、「ああ、食べたい」と本能をかき立てられる。懐かしや初めてのうな丼。今年も鰻の季節がやってくる。

「味の手帖」(2020年7月号掲載)
イラスト=藤枝リュウジ

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